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2025/07/15 07:56

人はみんな、
気づかないうちにたくさんの“べき”を抱えて生きている。

「こうあるべき」
「こうすべき」
「こうでなきゃいけない」

たとえば——

■ 失敗しちゃいけない
■ 遅刻しないのが当たり前
■ ちゃんと気遣いができる人が大人
■ 仕事は責任感を持ってやるべき
■ SNSでは好かれる投稿をしなきゃ
■ 私はこういう性格でいなきゃダメ

誰かに言われたわけでもないのに、
気づいたら、自分の中に根を張っている「べき」。

そしてそれは、
無意識のうちに“自分を縛るルール”になっていたりする。

もちろん、
それが全部悪いわけじゃない。

「べき」があるからこそ、人にやさしくできたり、
がんばれたり、誠実に生きられたりもする。

でも、
その“べき”があまりにも多すぎると、
自分の気持ちや感情を後回しにしてしまう。

「今日はしんどいな」と思っても、
「ちゃんとやらなきゃ」と無理をしてしまったり、

「本当は納得してない」と感じても、
「空気を悪くしないように」と言葉を飲み込んでしまったり、

そうやって“正しさ”に合わせるように生きていると、
だんだんと、自分の「本音」が見えなくなっていく。

気づけば、
「他人がどう思うか」ばかりを気にして、
「わたしはどうしたいか」が分からなくなってしまう。

誰かの期待に応えることに一生懸命で、
ほんとうの自分が、どこかに置いてけぼりになる。

そしてある日、ふっと思う。

「わたし、何のためにがんばってるんだろう」
「どうして、こんなに息苦しいんだろう」って。

その答えのひとつが、
“執着”なのかもしれない。

「ちゃんとしなきゃいけない」
「こうであるべき」
そう思い込むことへの、執着。

手放すのがこわくて、
手放したら「ダメな自分」になるような気がして、
ぎゅっと握りしめてきたもの。

でも、ほんとうは——

その手を、すこしゆるめてみてもいいんです。

完璧じゃなくてもいい。
ときどき失敗したって、遅刻したって、
人に気をつかえない日があっても、
無理して笑えない日があっても。

それだけで「ダメ」なんてこと、ない。

むしろ、自分の気持ちに素直でいることの方が、
ずっと勇気がいるし、ずっとたいせつ。

「今日はできなかった。でも、まあいっか」
そんなふうに自分をゆるせるようになるとね、
不思議と、他人のこともゆるせるようになっていく。

誰かのミスにも、
「まあ、そんな日もあるよね」って思える。

誰かの不器用さも、
「その人なりのがんばりだな」って受け止められる。

執着を手放すと、
“正しくあらねば”という緊張がほどけて、
心のなかに、やわらかい余白が生まれる。

その余白に、
安心ややさしさ、思いやりが、すうっと入ってくる。

いつのまにか、
自分にも他人にもやさしくなってる。

完璧じゃない自分を、ちょっと好きになってる。

そんなふうに、
“べき”に縛られない日々が増えていくと、
生きるのが少しずつ、楽になっていく。

「○○すべき」じゃなくて、
「○○したい」って気持ちを、大切にしていいんです。

人の目より、自分の声を。
常識より、自分の心を。

あなたがあなたらしくいられるように、
もういらなくなった“べき”を、そっと手放してみよう。