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2025/07/15 07:57

「運がいい人って、“思い込みの達人”なのかもしれない」
「私って、運がいいんです」
そう口にする人って、不思議と人生がうまくまわってるように見える。

失敗しても明るくて、
トラブルがあってもどこか楽しそうで、
小さなラッキーをちゃんと喜べる。

そういう人って、特別な“強運”の持ち主に見えるけど、
ほんとうは、誰にでも起きている「出来事の見え方」が違うだけなのかもしれない。

実は——

運のいいことも、悪いことも、
どんな人にも、だいたい同じくらい起きている。

人生には、うれしい出来事もあれば、
ついてないこともある。
思い通りにいく日もあれば、
なんでこんな日に…って落ち込む日もある。

でもね、
運がいい人と、そうじゃない人の違いって、
実は「出来事そのもの」じゃなくて、
それをどう受けとめるかの“意識の向け方”にあるんです。

たとえば——

● 傘を持ってない日に雨が降った → 「ついてないなぁ…」
→ 運がいい人は、「雨に濡れるのも久しぶりで気持ちいいかも」とか、「ちょっとだけ雨宿りできたおかげで、立ち止まって深呼吸できた」と思える。

● 電車が遅延した → 「最悪…」
→ 運がいい人は、「これで危ないタイミングを回避できたかも」とか、「座れたからラッキー」と思える。

● 応募したものに落ちた → 「どうせ私なんて…」
→ 運がいい人は、「今じゃなかっただけ」「チャンスはまた来る」と思って、次の行動に切り替える。

こうやって同じ出来事でも、
“とらえ方”しだいで、感じ方はまったく変わる。

「自分は運がいい」と思っている人は、
起きたことのなかに“よかった探し”ができる人。
そして、いいことが起きたときに、
それをちゃんと“ありがたい”と受けとれる人。

だから、運がよく見える。

というより——

「自分は運がいい」と思うからこそ、
運のよさに気づける感覚が育っていくのかもしれない。

運がいいと思っている人は、
小さな奇跡をたくさん拾っている。

たとえば……

● 朝、ぎりぎりで起きたけど、電車に間に合った
● 忘れかけていた大事な予定を、ふとしたタイミングで思い出せた
● 好きなお菓子がコンビニにひとつだけ残っていた
● 空がきれいだった
● 誰かのやさしさにふと救われた

そういう「ちいさな幸せ」を、
見逃さずにちゃんとキャッチできること。
その積み重ねが、「運のよさ」をつくっていく。

だから、もし今日ついてないことがあったとしても、
「自分って、運わるいなあ」って思いそうになっても、
ちょっとだけ、視点を変えてみてください。

もしかしたら、
今日もどこかで“守られてたこと”があるかもしれないし、
“ラッキーの種”を見逃してただけかもしれません。

「自分は運がいい」って、思い込んでみる。
それだけで、世界の見え方は変わっていく。

運がいい人って、
“出来事の意味”を前向きに見つけられる人なんだと思う。

だから、今日からでも遅くない。
「わたし、けっこう運いいかも」って、
ちょっと思ってみてください。

その“思い込み”が、やがて現実になっていきます。