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2025/08/03 09:24

「怒りの奥にあるもの」
怒りの感情が湧いてくるとき、
心の中で、なにかがざわつく。
「あの言い方、ひどい」
「なんで私ばっかり我慢しなきゃいけないの?」
「そんなつもりじゃなかったのに…」
そんなふうに思って、
ふとしたことでイライラしてしまったり、
冷たい言葉を返してしまったり。
でも、そういう自分にあとから後悔して、
「大人げなかったかな」
「怒りすぎたかも」
「もう気にしないようにしよう」
って、自分の気持ちを飲み込もうとする。
だけど時間が経っても、
なんだかもやもやが残っている。
何回飲み込んでも、また同じ場面でイライラしてしまう。
どうして、こんなに怒ってしまうんだろう。
どうして、忘れたはずなのに、また思い出して苦しくなるんだろう。
もしかしたらそれは、
“怒り”の奥にある「ほんとうの気持ち」に、
自分自身が気づけていないからかもしれません。
怒りって、実は心のサイン。
感情の中でも特に強くて、
無視できない形で現れてくれる感覚。
でもその正体は、「ただの怒り」ではないんです。
その奥には、
「本当は、こうしてほしかった」
「こんなふうに扱われたくなかった」
「私の気持ちも大切にしてほしかった」
そんな“願い”や“悲しみ”が、静かに隠れている。
たとえば、
誰かの一言に傷ついたとき。
相手の言葉そのものが悪かったというよりも、
**「その言葉によって、自分が大切にしている価値観が否定された」**から苦しかったのかもしれない。
「もっと認めてほしかった」
「信じてほしかった」
「味方でいてほしかった」
怒りの裏には、
そんな願いがそっと潜んでいることが多い。
そして、
その願いに自分で気づいてあげることができると、
怒りという激しい感情は、すこしずつ静かになっていく。
「私はあのとき、こう感じた」
「本当は、こうしてほしかった」
「だから、悲しかった」
そうやって、自分の本音を見つめられたとき、
“怒り”は、ただの攻撃じゃなく、
**「自分を大切にするための道しるべ」**に変わる。
我慢しすぎて苦しくなる前に、
自分の感情を「わがまま」だと決めつける前に、
その奥にある「ほんとうの願い」を、
そっとすくい上げてあげてほしい。
怒ってしまったことに落ち込む必要はない。
それだけ、あなたの中に「大切にしている何か」があるという証拠だから。
誰だって、心の中に大切な宝物を持っている。
それを踏まれたとき、
悲しかったり、怒ったりするのは、当たり前のこと。
だから、怒りを責める必要はない。
その感情の奥にある“本当の声”に耳をすませて、
「自分は何を守りたかったんだろう」って、問いかけてみてほしい。
そうやって自分の心と丁寧に向き合えると、
きっと次にすべきことも、
自然と見えてくるはずだから。
怒りは、感情の嵐ではなく、
あなたの“価値観”を照らすランプのようなもの。
その光が教えてくれる道を、
少しずつでも、歩いていけたらいいね。