BLOG
2025/08/03 09:26

失敗は“転ばない練習”じゃなくて、“立ち上がる練習”
失敗するのって、やっぱりこわい。
恥ずかしいし、情けないし、
「なんでこんなこともできなかったんだろう」って、自分にがっかりする。
頑張ってきた分だけ、落ち込む。
まわりと比べて、余計に苦しくなる。
「あの人はうまくやってるのに、私は…」って。
そしていつしか、
「失敗しないこと」が目標になっていく。
間違えないように。
嫌われないように。
怒られないように。
転ばないように。
そうやって、
転ばないための“完璧な自分”を演じようとする。
でも本当は、
失敗って、「転ばないための練習」じゃない。
失敗って、
**「転んだあとにどう立ち上がるかを学ぶ練習」**なんだと思う。
転ばないことばかり気にしていると、
どんどん怖くなって、
挑戦できなくなる。
間違えることを恐れて、動けなくなる。
でも、転ぶことを前提にしていれば、
失敗の中にだって、意味を見つけられる。
「うまくいかなかったからこそ、わかったこと」
「苦しかったからこそ、気づけたこと」
「つまずいたからこそ、見直せたこと」
立ち上がるたびに、
ほんの少しだけ、強くなる。
ほんの少しだけ、自分のことを知っていける。
うまくいかなかった日もある。
恥をかいたこともある。
投げ出したくなったときだって、ある。
それでも、
それをなかったことにしなくていい。
「失敗だったね」と自分に言ってあげてもいい。
大事なのは、そのあと。
どう受け止めたか。
どう乗り越えたか。
どう自分に優しくできたか。
それが、
「次の自分」をつくっていく。
思い出してみて。
過去の失敗のなかにも、
あのときの転び方があったからこそ、
今のあなたのやさしさがある。
誰かの気持ちに寄り添える強さがある。
「もう同じことは繰り返さないように」じゃなくて、
「また転んでも大丈夫」って思えること。
それが本当の意味での“強さ”なんじゃないかな。
転んでも立ち上がる力は、
経験のなかで少しずつ育っていく。
だから、転ぶことはこわくない。
たとえその瞬間は痛くても、
あとでちゃんと、自分の血となり骨となる。
「立ち上がる練習」をしてるんだと思えば、
失敗にも、ちゃんと意味がある。
今日、もしうまくいかなかったことがあったとしても、
「やっちゃったな…」と落ち込むことがあったとしても、
それは“終わり”じゃない。
むしろ、「ここからまた立ち上がる時間」が始まっただけ。
落ち込むこともある。
立ち止まることもある。
でも、それでいい。
うまくやれなくても、
転んでも、
何度だってやり直せる。
人生って、
“転ばないように生きること”じゃなくて、
“転んだときにどうするか”を学びながら、少しずつ育っていくもの。
そして気づいたときには、
きっと以前よりしなやかで、やさしい自分になっているはず。
だから今日の失敗にも、
ちゃんと意味がある。
焦らなくていい。
ゆっくりでいい。
また立ち上がれば、それでじゅうぶん。